Toyooka

私は東京を出発し、世界各地の様々な時計と、時計のある都市を見てきた。
そして、旅の最後にもう一度日本へと戻り、兵庫県の豊岡市出石を訪れた。旅の初めに訪れた東京とは異なる古き良き町並みだ。

豊岡市出石には、1881年に作られた日本最古の時計台、辰鼓楼(しんころう)がある。この時計台を街に寄贈したのは旧出石藩の藩医、池口忠恕(ちゅうじょ)という人物だ。忠恕は、江戸時代の終わりの1851年、出石藩の医師の息子として生まれた。各地で医学を学び、29歳の時、この地に医院を開業する。忠恕は、大病を患ったときに町の多くの人々が見舞いに来てくれたことに感謝し、その印としてオランダ製の機械式大時計を辰鼓楼に寄贈した。寄贈に当たって、地元の若者2人を東京に派遣し、時計造りの技術を学ばせ、大時計の管理を任せたそうだ。

忠恕が辰鼓楼を設置したのは明治14年。その少し前の明治6年に西洋式の定時法が導入される。それまでの日本では、時(とき)ではなく、刻(とき)という言葉を使っていた。日の出日の入りを基準として昼夜を6分割し、現在で言う約2時間を、一刻(いっとき)としていた。基準となる時間が日の出日の入りだったので、季節によって一刻の長さも違っていた。江戸時代、夏の日中の一刻は冬より長く、早々に起床し、太陽を有効に活用して生活していた。江戸から明治に変わり、長らく使われていたそれまでの刻から時に変わった。街の人々の生活や心にも大きな変化と混乱が起こったことだろう。その中で、忠恕が設置した時計台は、人々の心を落ち着かせ安心を与えたのではないかと思う。そんな話しと共に、古きよき町並みや辰鼓楼を見ていると、忠恕を思う町の人々の思いと、それに答えた忠恕の思いが、深く感じられる。

初めからこの町を最後にしようと決めていた。EDIFICEとともに情緒的な時間を過ごしたかったからだ。世界はたった一つの正確な時間で動いているはずなのに、時間感覚は、文化や時代、人によって、まるで違う。常に正確な時間を示し、国境を越えて世界300カ国の時間と繋がるEDIFICE。EDIFICEは、時間を示す道具であると同時に、私の生きる時間について考えさせてくれるパートナーでもある。EDIFICEは人生を楽しませてくれる時計だ。